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ローリー (USS Raleigh, CL-7) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。オマハ級軽巡洋艦の1隻。艦名はノースカロライナ州ローリーに因む。その名を持つ艦としては3隻目。 ==艦歴== ローリーは1920年8月16日にマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチール社で起工する。1922年10月25日にジェニー・プロクターによって命名、進水し、1924年2月6日にボストン海軍工廠で艦長ウィリアム・C・ワッツ大佐の指揮下就役した。 ローリーは艤装を完了するため1924年2月26日にブルックリン海軍工廠へ向かい、4月16日に同工廠を出航しでの整調に向かった。1924年6月24日にクインシーで最終調整を完了し、マサチューセッツ州に移動した。1924年7月30日にプロヴィンスタウンを出航、偵察艦隊軽巡洋艦隊に加わり陸軍の世界飛行の支援任務に当たる。ノルウェー、デンマーク、スコットランドを訪問後、ローリーは1924年7月31日にアイスランドのクヴァールフィヨルズル (Hvalfjörður、ハヴァルフィヨルドとも) 沖の偵察ステーションに到着した。8月19日にグリーンランド東岸に向かい、任務を完了すると帰国の途に就く。1924年9月3日にボストン海軍工廠に到着し、修理が行われた。 ローリーは1924年10月16日にボストンを出航、バージニア岬での訓練後パナマ沖、カリフォルニア、ハワイ諸島での作戦活動および艦隊演習に従事した。1925年6月10日にホノルルを出航し、偵察艦隊と共にサンディエゴに到着、続いて7月13日にボストン海軍工廠に帰還した。ローリーはボストンを拠点として続く2年間作戦活動に従事し、冬期間の大半は偵察艦隊と共にキューバおよびパナマで活動した。 1927年2月1日にボストン湾を出航し、ローリーは海兵隊の2分隊を乗せてサウスカロライナ州チャールストンに向かった。グアンタナモ湾での演習に参加した後、パナマ運河を通過しニカラグアのに2月5日に到着、海兵隊を上陸させた。海兵隊は同地の盗賊の討伐任務に当たった。ローリーは3月27日まで支援を行い、ボストンに帰還後大西洋での作戦活動を再開した。 1928年の春にはカリフォルニアの沿岸およびハワイ水域で活動し、1928年6月26日にボストンへ帰還、ヨーロッパでの任務の準備に入る。1928年8月17日にバージニア州ハンプトン・ローズを出港し、9月15日にデトロイト (''USS Detroit, CL-8'') とその任を交代、ヨーロッパ方面司令官ジョン・H・デイトン少将の旗艦となる。 ボストンに寄港後、ローリーはヨーロッパ各地の港に外交訪問を行い、1929年9月4日にハンプトン・ローズに帰還した。ローリーはその翌日司令官の旗を降ろして旗艦任務を解かれ、偵察艦隊の第3巡洋戦隊に復帰した。以後数年間、ボストンを拠点に戦闘訓練や航海訓練を行った後、1933年8月15日に母港がサンディエゴに変更された。ローリーはカリブ海で行動した後サンディエゴに向かい、サンディエゴに移動後はカリフォルニア、ハワイおよびアラスカ方面で行動した。1936年4月27日、ローリーはオーバーホールのため艦隊とともにサンディエゴを出港し、パナマ運河を通過してチャールストンに寄港した後、ノーフォーク海軍造船所に入渠した。 ローリーはノーフォークで入渠中にスペイン内戦が勃発。スペイン領内のアメリカ国民を守り避難させるため、特別に第40戦隊が編成された。司令官少将は1936年9月17日にローリーに将旗を掲げ、翌日にはジブラルタルに向けて出港した。ローリーは駆逐艦ケーン (''USS Kane, DD-235'') 、ハットフィールド (''USS Hatfield, DD-231'') および特務艦カユーガとともに9月27日にジブラルタルに到着し、内戦を逃れてきた数百人のアメリカ国民を収容した。その後のローリーはオマハ (''USS Omaha, CL-4'') に任務を譲る1938年4月28日までヴィルフランシュにあり、2日後にハンプトン・ローズに向けて出港。到着後、5月13日にノーフォーク海軍造船所でオーバーホールに入った。 オーバーホール後のローリーは戦闘艦隊の第一駆逐戦隊に配属され、8月16日にノーフォークを出港してグアンダナモ湾で訓練を行った後、9月5日にサンディエゴに到着した。1939年前半、ローリーはカリブ海での大演習に参加し、演習終了後、5月にサンディエゴに戻って沿岸部の哨戒を再開した後、10月5日には真珠湾に移動、以後、ローリーは第一駆逐戦隊の旗艦としてハワイとカリフォルニア沿岸部との間で艦隊演習に従事した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローリー (軽巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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